
KDDI 時代にオープンイノベーション事業責任者としてイノベーティブ企業ランキング7年連続1位を牽引した中馬和彦(ちゅうまん・かずひこ)氏が、みずほフィナンシャルグループ(みずほFG)執行役員 CBDO 兼 Blue Lab 代表取締役に転身した。
「みずほのための新規事業開発はやらない」。そう明言する中馬氏が見据えるのは、金融機関という”黒子”の立場から日本全体の産業を生み出すという壮大な構想だ。
日本のスタートアップ数は2021年の約1万6,100社から5年で1.5倍の約2万5,000社に増加した。しかし、スタートアップ発の新産業が生まれたかと問われれば、答えはまだ「ノー」に近い。NewsPicks のイベントで、ディープテック投資に注力する ANRI ジェネラルパートナーの佐俣アンリ氏とともに、日本の産業創造に必要な処方箋を語った。
「アメリカ型をやめた方がいい」——日本のスタートアップの現在地
スタートアップの数が増え、優秀な人材も資金も流入している。それでも日本ではスタートアップが産業の主役になりきれていない。なぜか。
ーー日本のスタートアップを取り巻く環境、最近どんな変化を感じているか
佐俣:スタートアップはますます良くなってきていると思っています。素晴らしい人材も入っていますし、素晴らしい資金が流入してきてはいる。一方で、僕はいろんなことを考えて去年2ヶ月間アメリカに留学していたんですけど、スタンフォードのど真ん中にいてエコシステムを見ていて、改めてアメリカを目指すというテーマに関しては10年間失敗しているし、アメリカ型のスタートアップ像を目指すのはやっぱりやめた方がいいというのが僕なりの結論です。
佐俣:ハードウェアやものづくりは、改善も含めてリニアに成長していく世界なんですよね。確実に部品や半導体の性能が着実に上がっていく。でもソフトウェアの世界は、大きく投資したらエクスポネンシャルにある時を境に急成長するわけです。こういうゲームは日本には向いていないのかなと思うんですよ。農耕民的というか、みんなで改善して品質を毎日じわじわ上げていく忍耐力と集団組織力が向いている、ものづくり的な世界と、一人の天才が素晴らしいコードを書いてお金が集まって急成長していくのとでは、全くモデルが違いますから。
プラットフォームビジネスは「総取り」のゲームだ。OpenAI も Anthropic もアメリカから生まれた。資金のインセンティブ構造が整った国が圧倒的に有利であり、日本がこの土俵で同じ勝負を続けても結果は変わらない——佐俣氏はそう見ている。では、日本の30年をどう捉えるか。中馬氏は「失われた30年」というフレーズそのものに異を唱えた。
ーー日本のスタートアップのこれまで、どう見ているか
中馬:失われた日本の30年だって大変なことになったと言っていますけど、トヨタとか日本の上場企業の時価総額は5倍、10倍に成長していますからね。ソニーで言うと十数倍になっていますから、みんな成長しているんですよ。ただ、もっとすごい人たちが出てきたということで言うと、グローバルのトップ10は過半数がここ10年20年で出てきた会社なんですよね。日本のトップ10を見るとびっくりしますよ。何にも変わっていないですから。だから失われてはいないと僕は思っていて、生まれなかったんだと言っているんですよ。
「失われた」のではなく「生まれなかった」。既存企業は着実に成長していた。しかし Google、Amazon、Meta のような新しいプラットフォーム企業が日本からは一社も誕生しなかった。では、なぜ生まれなかったのか。議論は大企業の新規事業開発の構造的な問題へと進む。
天動説から地動説へ——なぜ大企業の新規事業は失敗するのか

KDDI 時代にスタートアップ投資と新規事業開発の最前線に立ってきた中馬氏は、日本の大企業が繰り返す失敗パターンを「天動説」という比喩で切った。
中馬:日本の大企業の新規事業、ほぼ失敗していますよね。CVC もほぼうまくいっていないと思うんですよ。見ていて思うのは、日本の企業は天動説だと思うんです。それなりの成功体験があって、自分たちを中心に戦略を書くんですよ。「ヘルスケアが面白そうだからヘルスケアやってみよう」とやるんですけど、Apple や Google は自分たちで端末を大量に売っていてソフトウェアをばらまいていて、新しいヘルスケアを流行らせようと思ったら機能を入れてばらまけば流行るんです。じゃあ日本の企業がトレンドを作れますかと。
自社の関心を中心に領域を決める「天動説」ではトレンドは作れない。中馬氏が提唱するのは発想を180度転換した「地動説」——世の中の変化に自分たちを合わせにいくアプローチだ。
ーーでは、大企業はどうすればいいのか
中馬:先読みして、先読みして、先読みして、ちょうどいいタイミングで乗っかっていくのが僕は新規事業だと思っていて。やりたいことではなく、波が来そうなものを10年単位でやれということです。流行りはコントロールできないじゃないですか。それに対してとにかく全方位で張るしかないと思うんですよ。
中馬:世界中のことを全部知っておきたい。新しいトレンドは残念ですが、やはり新しいことを考えているスタートアップから来るんですよ。スタートアップに投資して経営会議に出て聞いていると、「来そうだと思ったけどまだ来ないな」とか、かなり正確に分かる。しかも一人ではなく、複数の極めて優秀な人間が人生を賭けて考えたことを何本か補助線としてもらうと、「この辺にこれが来るんだな」と見えてくる。それを全方位でやっているんですよ。
KDDI 時代、中馬氏は通信事業とは一見関係のない創薬ベンチャー5社にも投資した。「領域を決めること自体が将来を制限する行為」だと考えるからだ。新規事業もポートフォリオとして分散し、統計学的に確率を上げていく。多くの大企業が「中期戦略で今後の成長はフィジカル AI です」と一点張りする姿に、中馬氏は苦笑した。
「みずほのための新規事業開発はやらない」

中馬氏がみずほFGに移った理由は、事業会社の枠を超えた「産業創造」への挑戦にある。Blue Lab はもともと0→1の新規事業開発を行う組織だったが、中馬氏の参画で方針を根本から転換した。
ーーみずほに移って、何を変えたのか
中馬:「みずほのための新規事業開発はやらない」。これに合意して入ってきているので、シナジーがどうこうという話は一切やらないです。そうではなく先読みして、これから伸びる領域はどこかと。日本全体として成長力を出せるところはどこかを見極めた上で、そこにイニシアチブを取ってやっていく。
佐俣:金融業とは何かと言ってもなかなか伝わらないのですが、世の中のインセンティブを作ることだと思っています。金融という事業の本懐は、産業を作るためのインセンティブ構造の設計だと思うんですよね。
「みずほのシナジー」ではなく「日本の産業力」を目的関数に据える。日本経済が成長すれば金融機関にもおのずと恩恵がある——この大きな因果関係に賭ける構想だ。KDDI 時代は積極的な M&A が PE ファンド的に見られることもあったが、金融機関には業法上の制約で本体から5%しか出資できない。それが逆に強みになると中馬氏は言う。
中馬:金融機関は自分が事業会社ではないし、どのみちマジョリティーも取れないという特殊な業法もある。逆に言うと産業の裏方として、脇役として縁の下の力持ちとして、みんなに対して「一緒にやりましょう」と旗振りできる、かなりレアなポジションだと思っています。
「惑星直列」の好機を逃すな

AI の実用化、地政学的なサプライチェーンの再編、ダボス会議で SDGs が語られなくなるほどの価値観の転換——。中馬氏はこれらの同時多発的な変化を「惑星直列」と表現した。
ーー日本のスタートアップが強い産業を作るために、何が必要か
中馬:今 AI が出てきて、フィジカル AI が全てではないけれど、世の中のありとあらゆるリアルの空間に AI という名でいろんなものが実装されていく。今までアナログで動いていたものがデジタルになって、データドリブンになって、さらに自律的に動く世界になるとすると、既存の製造業や日本のものづくりは、まさにこの変化を避けられない。これを一緒になって、スタートアップのアイデアや技術を担ぎながらもう一度勝負できるかどうか。ここをやりきれないと本当にダメになってしまいますから。
佐俣:スタートアップの良さとスタートアップの難しいところを、極めて解像度高く理解している部長級以上の方がこの10年でかなり増えました。スタートアップ側もこの10年でもがきながら、本当に大きくなる事業の種がある産業が分かってきたし、それに足る人材も豊富に出てきた。かなり良いフェーズまで来たと思うんですよ。
デジタルがリアル空間に染み出す時代は、日本の製造業の強みが活きるフェーズでもある。大企業とスタートアップの双方が10年かけて成熟し、やっと「会話ができる」段階に入った。しかし佐俣氏は、まさにこのタイミングで手を引く企業が増えていることに危機感を示す。
佐俣:もったいないのが、大企業でこの10年の結論として「もうやめよう」となってしまう会社がかなり出てきているんですよ。やってきたけれど疲れてしまったり、「もう店じまいしようか」というフェーズに来ている。でも AI はデータでしか賢くならないのに、データを持っているのは大企業であり自治体であり、既存のプレイヤーが入っていかないと世の中は成長しないわけですよ。
中馬:生まれない30年から、生まれ続ける30年に僕はできると思っているし、いろんな変化が惑星直列のように見えている。ぜひこれまでうまくいかなかったことは一旦忘れて、もう一回みんなでチャレンジしませんかというタイミングだと思います。
佐俣:楽観は意思です。エコシステムを取り巻く我々が悲観をぐるぐる増幅しても意味がないわけですよ。楽観は意思なので、私たちが明るくやるという先にしか新しいものは生まれない。しんどくても笑って明るくやるしか、新しいものは生まれないんです。
日本のスタートアップエコシステムは確実に成熟してきている。問題は、過去の失敗に疲弊して「店じまい」することなく、この惑星直列の好機を掴めるかどうかだ。金融という黒子の立場から産業創造に挑む中馬氏の取り組みが、日本の「生まれ続ける30年」の起点となるかもしれない。